東京地方裁判所 昭和57年(ワ)6829号 判決 1984年9月13日
原告 辻村與一郎
被告 株式会社東京商工リサーチ
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 原告と被告との間で、原告の雇用期間が昭和五九年一二月二七日までであることを確認する。
2 原告と被告との間で、被告が原告に対し基本給として毎月月額金四二万七五〇〇円の支払義務があること、及び社員に準じた賞与支払いの義務があることを確認する。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
主文同旨。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告は、大正八年一二月二六日生れの男子であるが、昭和二五年六月一五日ころ被告会社に雇用され、東京支社出版部長、出版本部付、社内報編集委員、参与補等の役職を歴任し、昭和五五年一二月二六日満六一歳の定年を迎えたため退職し、翌二七日当時施行されていた就業規則一七条及び同条の附則である年長者特別服務規定に基づき、第一種嘱託として被告会社に再雇用され、東京支社に勤務していた。
(二) 被告会社は、商工業に関する通信並びに商業及び人事に関する調査全般、図書の出版、商工業に関する新聞紙の発行を主な事業目的とする会社である。
2 再雇用後の原告の労働条件
(一) 男子の第一種嘱託についての労働条件は、前記年長者特別服務規定により、次のとおり定められていた。
(1) 期間は満六五歳までとする。
(2) 給与は満六一歳に達した当時の給与とする。
(3) 賞与は社員に準じて支給する。
(二) 右によると、原告の第一種嘱託としての雇用期間は、原告が満六五歳に達する昭和五九年一二月二六日までであり、給与は基本給として満六一歳に達したときと同額の月額四二万七五〇〇円であり、賞与は、社員に準ずることとされていた。
3 被告会社は、昭和五八年四月一六日、原告に対して退職辞令を交付し、以来、原告を従業員として扱わない。
4 よつて、原告は被告に対し、原告の雇用期間が昭和五九年一二月二七日までであることの確認、並びに被告が原告に対し基本給として毎月月額金四二万七五〇〇円の支払義務があること及び社員に準じた賞与支払いの義務があることの確認を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因第1項から第3項までの各事実は認める。
三 被告の抗弁
1 被告会社における定年制及び定年後の嘱託制度の変遷
(一) 昭和三九年一月一三日の労働協約
被告会社には、もともと定年制に関する就業規則の定めがなく、この点に関する労働協約もなかつたが、昭和三九年一月一三日に至り、被告会社と訴外東京商工リサーチ労働組合(以下「訴外労組」という。)とは、定年制及び定年後の嘱託制度について、「年長者特別服務に関する協定書」と題する次の内容の労働協約を締結した。
(1) 男子従業員については、満六一歳に達したときは、第一種嘱託となり退職金を支給すること。
(2) 定年に達した者が健康不良で勤務に支障があると会社・組合が認めた者、又は引続き勤務することを希望しない者は、定年に達した時に退職すること。
(3) 第一種嘱託の期間は満六五歳までとし、会社・組合が合意のうえ期間を延長することができること。
(4) 第一種嘱託期間の給与は定年時の給与とし、昇給の適用がないこと。
(5) 第一種嘱託の一時金については、社員に準じて支給すること。
(6) 第一種嘱託としての勤務満了時には、退職金を支給しないこと。
(7) 第一種嘱託期間の満了した者は、第二種嘱託として勤務することができるものとし、その勤務条件については、昭和三九年一二月三一日までに、会社・組合が協議して決定すること。
(8) この協定は、被告会社の全従業員に同時に適用すること。
(二) 昭和四五年五月一六日の労働協約
次いで、被告会社と訴外労組とは、昭和四五年五月一六日、第一種嘱託期間の満了した男子従業員は第二種嘱託として勤務することができるが、本人の健康、勤務振り並びに貢献度の将来性を勘案して会社と組合が協議のうえ、一か年更新をもつてこれを延長すること、及び第二種嘱託者の服務並びに給与・賞与(一時金)及び厚生については第一種嘱託者に準ずることを定めた労働協約を締結した。
(三) 被告会社の就業規則及び年長者特別服務規定の定め
被告会社は、昭和三九年一月二一日、右(一)の労働協約に基づき、就業規則第一七条で定年及び嘱託の制度を定め、その付属規定として年長者特別服務規定を制定し、昭和四五年五月一六日、右(二)の労働協約に基づいて右規定を改正したのであるが、それらの内容は右各労働協約と同旨であり、原告が請求原因において主張する年長者特別服務規定は、右のような経過を経て制定、改正されたものである。
2 昭和五七年四月一六日の労働協約
被告と訴外労組とは、昭和五七年四月一六日、「定年者特別服務規定協定書」と題する次の内容の労働協約(以下「本件協約」という。)を締結した。
(1) 従業員は定年に達した日に退職する。ただし、健康不良及び服務状態不良で勤務に支障があると会社と組合が認めた者又は引続き勤務することを希望しない者以外は、再雇用契約により嘱託として勤務することができる。
(2) 再雇用契約は一か年更新をもつて延長することができる。嘱託期間は最長二か年とする。
(3) 嘱託者として勤務する男子の満六三歳に達するまでの給与は嘱託一年目は基準内賃金(定年時までの役職手当、管理手当、業績給を除く。)の七〇パーセント、嘱託二年目は同じく五〇パーセントを支給する。ただし、基本給の昇給及び資格手当の適用はない。
(4) 嘱託者には賞与(一時金)を支給しない。ただし、会社の業績及び本人の服務状態に応じて金一封を支給することがある。
(5) この規定は、昭和五七年四月一六日より施行し発効し、発効の日から昭和三九年一月二一日制定、昭和四五年五月一六日改定の年長者特別服務規定は廃止する。
(6) 経過措置として、協定施行日現在で男子満六二歳、女子満五二歳以上の嘱託者は、施行日より一年間勤務することができる。
3 被告会社における労働組合及びその組合員数
被告会社には、企業別労働組合として、訴外労組のほかに訴外東京商工リサーチ従業員組合(以下「訴外従組」という。)があるところ、右二つの労働組合は被告会社の経営単位に対応してその事業所を東西に二分して結成されている。すなわち、訴外労組は、被告会社の本社並びに北海道、東北、関東及び中部各地方の支社支店の従業員を対象として組織され、訴外従組は、関西、中国、九州及び沖縄各地方の支社支店の従業員を対象として組織されている。そして、本件協約締結当時においては、訴外労組は対象従業員総数八二一名中四分の三以上の六六五名を組合員とし、訴外従組は対象従業員総数四七七名中四分の三以上の四一四名を組合員としていた。そして、訴外従組も訴外労組と同じ時期に前記1の(一)及び(二)並びに2と全く同一の内容の労働協約を被告会社との間に締結した。
また、本件協約締結当時、原告が所属していた東京支社は、従業員総数二〇四名であり、そのうちに訴外労組の組合員が一六四名おり、本社については、従業員総数六五名、訴外労組の組合員五〇名となつていた。
4 本件協約の非組合員への拡張
労働組合法一七条に規定する「一の事業場」とは、一の経営単位を指すと解すべきところ、被告会社においては、訴外労組及び訴外従組に対応する各事業所が一の経営単位というべきである。そうすると、訴外労組に対応する各事業所の従業員総数八二一名中四分の三以上の六六五名が加盟する訴外労組と被告会社との間で締結された本件協約の効力は、労働組合法一七条により、非組合員である原告にも及び、昭和五七年四月一六日以降、原告の労働条件は本件協約によつて変更され、給与は月額二二万六四三〇円、嘱託期間は昭和五八年四月一六日までとなり、右期間満了をもつて退職となつたものである。仮に、労働組合法一七条に規定する「一の事業場」を狭く解して被告会社の「東京支社」であると解しても、そこにおける従業員は二〇四名であり、そのうち組合員は四分の三以上の一六四人であるから、本件協約の効力が原告に及ぶことに変りはない。
5 退職の承諾
仮に、右4の主張が理由がないとしても、被告会社は、原告は本件協約の経過措置に基づき昭和五八年四月一六日かぎりで嘱託期間が満了し、退職することとなつたとして、同日、原告に対して、退職辞令を交付したところ、原告はこれを異議なく受領した。このことにより、原告は被告会社から退職することを承諾したものである。
四 抗弁に対する認否及び原告の反論
(認否)
1 抗弁第1、第2項の事実は認める。
2 抗弁第3項の事実のうち所属組合員数は不知、その余の事実は認める。
3 抗弁第4項の事実は否認する。
4 抗弁第5項の事実のうち、原告が被告会社主張の日に退職辞令を受領したことは認めるが、原告が退職することを承諾したことは否認する。
(原告の反論)
1 本件協約の効力について
(一) 労働組合法一七条にいう「一の工場事業場」とは一の企業全体を指すと解すべきであるから、訴外労組及び訴外従組はともに同条所定の四分の三以上の数の労働者を組織しているとは言えず、本件協約は同条所定の要件を満たしていない。
(二) 労働協約は元来低い労働条件の改善をめざすものであり、最低基準を定立するものとみるべきであるから、その規範的効力は労働協約より有利な契約を締結している労働者には及ばないと解すべきであり、このことは労働協約が拡張適用される場合でも同様である。したがつて、非組合員たる未組織労働者が新しい労働協約よりも有利な労働条件を内容とする労働契約を既に締結している場合には、新しい労働協約の効力は右労働者には及ばず、右協約の締結後も右労働者の労働条件は引き下げられないと解すべきであるところ、原告は、本件協約締結以前に、本件協約よりも有利な従来の就業規則の定めに従つた労働契約を締結していたものである。
(三) 本件協約が実施され、嘱託の労働条件が引き下げられることによつて損害を被る者は、全従業員中三〇名に限られるが、そのうち組合員はわずか二名、あとの二八名は非組合員である。この影響を受ける三〇名のうちの大部分の二八名について何の了解を得ることもなく、雇用期間の短縮及び賃金の引下げという極めて重大な事項について、わずか一割にも満たない二名の意向しか反映しない組合が了解したからといつて、組合と関係のない他の二八名に対しても、その労働条件の悪化を承諾せよというのは極めて不合理である。
また、被告会社と訴外労組との労働協約によると、課長までが組合員の資格を有しており、訴外労組の三役経験者は必ずと言つてよいほど被告会社の役員や管理職に登用されているなど、従来から被告会社と訴外労組とは癒着していたのであるが、本件協約締結に当つては、事前に被告会社と訴外労組の幹部とが、高齢者を切り捨て、その代りに現役社員の給与等を引き上げる旨の取引をしたうえ、組合大会の会場費も被告会社が負担し、被告会社の役員らが右大会の参加者らに対し、もし労働協約の改定が実施されなければ将来は昇給できず、退職金も出ないなどと話して組合員らの危機感を煽り、本件協約の締結について右大会の承認を得たものである。
そして、被告会社は、本件協約を締結した昭和五七年春には、一般産業より高額で業界では第二位に当たる賃上げを行い、現在に至るまで業界第一位の給与水準を維持しているのである。
以上によると、本件協約は、被告会社と訴外労組とが結託して原告ら非組合員に対し、差別的な不利益変更を強いる不当なものである。
(四) よつて、本件協約の効力は原告に及ぶものではなく、原告の労働条件は従来の就業規則の定めるところと同一である。
2 就業規則の一方的変更
被告会社は、昭和五七年四月一八日、同月一六日付をもつて就業規則及び付属規程で定められた嘱託の雇用期間、給与、賞与に関する労働条件を前記被告の主張三2の(1)ないし(4)のとおり変更した。
しかし、これには前項(三)で指摘したとおりの事情があるほか、当時被告会社の業績が一時的に悪化していたことは事実であるが、その原因は、昭和五六年四月に発生した広島支社の不祥事、データバンクの管理運用上の不手際及び役員に対する過大な貸付など被告会社自身の経営方法や労務管理のあり方にあるから、そのような経営の失敗による業績の悪化を高齢者の犠牲によつて乗り切ろうとするのは不当である。
よつて、右就業規則の変更には合理的な理由がないから、原告には効力が及ばず、その労働条件は従来の就業規則の定めるところと同一である。
第三証拠<省略>
理由
一 当事者及び原告の従業員としての地位についての争い
請求原因第1項から第3項までの事実は、当事者間に争いがない。
二 被告会社における定年制及び定年後の嘱託制度についての定めとその改正
1 抗弁第1、第2項の事実は、当事者間に争いがなく、同第3項の事実のうち組合員数を除くその余の事実については当事者間に争いがない。右当事者間に争いのない事実に証人西山靜及び同平田勝彦の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すると、訴外労組は被告会社の本社並びに北海道、東北、関東及び中部各地方の従業員八二一名中六六五名を組合員としていること、東京都内における被告会社の事業場には同一建物内に本社と東京支社があり、本件協約締結当時、原告の所属していた東京支社において常時使用されていた従業員は二〇四名で、そのうち訴外労組の組合員は一六四名であつたこと、及び右東京支社と同一建物内にある本社において常時使用されていた従業員は六五名で、そのうち訴外労組の組合員は五〇名であつたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。
2 本件協約の締結に至る経緯についてみると、前記一及び二1の当事者間に争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証、乙第七ないし第一四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二号証、原告本人尋問の結果によつて原本の存在とその成立が認められる甲第六号証、証人平田勝彦の証言により真正に成立したものと認められる乙第一五、第一六号証、証人西山靜の証言により真正に成立したものと認められる乙第一ないし第六号証、第二〇ないし第二三号証、右各証言及び原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)を総合すると、次の各事実が認められる。
(一) 被告会社は、商工業に関する信用調査、倒産速報の発行等を主たる業務としているが、その業界においては訴外株式会社帝国データバンクと一、二を争う大手企業であり、従業員の待遇においても長い間賃金水準及び毎年の賃上げ額ともに業界第一位の地位を保つていた。
(二) 被告会社には従来定年制はなかつたが、昭和三九年一月一三日に被告会社と訴外労組との間に締結された「年長者特別服務に関する協定書」と題する労働協約によつて定年制及び定年後の嘱託制度が定められ、同月二一日、右協約と同一内容の年長者特別服務規定が就業規則の付属規定として制定された。その後、昭和四五年五月一六日、被告会社と訴外労組との間の労働協約により前記「年長者特別服務に関する協定書」は一部改正され、それに伴ない、同日、前記年長者特別服務規定も同様の内容のものに改正された。このように、定年制及び定年後の嘱託制度は、訴外労組と被告会社との団体交渉の結果、労働協約として定められたものであり、その後、右協約と同一の内容を有する規定が就業規則の付属規定として制定されたため、当時非組合員であつた原告にも適用されることになつたものである。昭和四五年五月一六日以降の被告会社の定年制及び定年後の嘱託制度の内容をみると、男子の定年は六一歳と定められており、しかも右定年を迎えたのちも、本人がもはや勤務を希望しない場合や、被告会社及び訴外労組がともに健康不良で勤務に支障があると認めた場合を除き、引続き第一種嘱託として六五歳まで勤務することができ、その間の給与は定年当時の額とされ、更に第一種嘱託の期間が満了したのちも第二種嘱託として勤務する途が残されていたのであり、全産業的にみても六〇歳を越える定年制を実施している企業は、昭和五三年において全体の僅か四・八パーセントにすぎず、昭和五五年においては三・二パーセントとむしろ減少しており、被告会社の定年制及び定年後の嘱託制度は従業員にとつてかなり有利なものであつた。
(三) 被告会社においては、その業務の性質上、諸経費のうちに人件費の占める割合が約六〇パーセントと高率であるため、もともと人件費の増減がその業績に大きく影響する状況にあつたところ、折から日本経済全体がいわゆる低成長期に入つたことにより、多数の高齢者に高額の給与を支払うことは被告会社の経営を圧迫しかねないこととなり、右定年制及び定年後の嘱託制度を再検討する必要があると判断するに至つた。そこで、被告会社は、昭和五四年三月一日付で訴外労組に対し、右定年制及び定年後の嘱託制度の改正を提案した。右提案の骨子は、男子満六一歳の定年自体は現状どおりとするが、定年後は一年更新で最長六五歳まで嘱託期間を延長し、嘱託期間中の給与は定年時の基準内賃金の七〇パーセントとし、一時金は支給しない、というものであつたが、右改正案については訴外労組の同意を得るには至らなかつた。
(四) 被告会社の売上げの主なものには、調査加盟料、調査料、特報加盟料とその広告料、東商信用録販売収入とその広告料等があり、調査加盟料と特報加盟料及びその広告料とがいずれも全売上げの四割強を占めていた。被告会社の売上高についてみると、昭和五四年四月一日から昭和五五年三月三一日までの第七〇期決算期が約一一〇億七一二七万円、昭和五五年四月一日から昭和五六年三月三一日までの第七一期決算期が約一一九億五二四五万円と、それまでに引続き順調に伸びており、各期における利益は、第七〇期決算期が約二五五七万円(営業利益約四一八六万円)、第七一期決算期が五〇〇四万円(営業利益約九一五二万円)といずれも黒字を計上していた。
ところが、被告会社は、昭和五六年四月一日から昭和五七年三月三一日までの第七二期決算期において、売上高が約一一六億七六六二万円と前年を下回り、営業損益において約二二五九万円の赤字を計上するに至つた。右赤字の主な原因は、昭和五六年一月以降被告会社が人権問題を考慮して人事調査を全廃したことにより、他の売上項目がいずれも増加しているにもかかわらず、調査加盟料が前年比八九・三パーセントの売上げにとどまつたことにあつた。
右のような業績の悪化を反映して、被告会社の従業員に対する待遇も悪化を免れず、給与水準においては依然として業界第一位であつたものの、昭和五七年春闘における賃金値上げ額は訴外株式会社帝国データバンクのそれを下回るに至つた。
なお、被告会社の広島支社において、支社長ら三名がある会社について虚偽の倒産予想情報を流したうえ、その修正料名下にその会社から多額の金員を脅し取つたとして昭和五六年四月六日に逮捕され、そのうち二名が右事実により有罪判決を受けたことがあるが、その後の被告会社の売上げをみると、減少したものは調査加盟料のみであつて、他の品目はいずれも売上げが増加しており、被告会社の業績の悪化が右事件による被告会社の全般的な信用の低下に起因するものとは直ちにいえず、また、被告会社のデータバンク管理運営上の不手際や役員に対する不良貸付が被告会社の業績悪化の原因となつたか否かも明らかではない。
(五) 右のような業績の悪化に伴い、被告会社は、前記定年制及び定年後の嘱託制度の改正を早急に実施しようと考え、訴外労組幹部の意向を打診したうえ、昭和五六年一二月一七日付で、嘱託の期間を一年間に限ること、既に嘱託となつている者については次の誕生日をもつて雇用期間を終了させることなど先の改正案を更に厳しく修正した案を訴外労組に提案した。
これを受けた訴外労組の執行部は、当時被告会社全体として定年後の嘱託者は二八名いたが、更に昭和五七年から昭和六〇年までに定年を迎える者が五一名おり、以上の約半数が訴外労組または訴外従組の組合員であつて、これらの者は右会社案が実施されたときには大きな不利益を受けることとなるが、他方当時の嘱託制度をそのまま維持するには多額の人件費及び諸経費を必要とし、その合計額は昭和五七年度から昭和六〇年度までで少なくとも約一六億円にのぼり、被告会社の業績が悪化したことに鑑みると、もはや現状維持は困難なこと、一般の組合員の中には嘱託者がその勤務内容に不相応な高給を受けているとの不満をもつ者が多かつたこと、及び、右会社案は労働条件を悪化させるものではあるが、それでも世間一般の水準に比べるとかなり恵まれた内容であること等を考慮して、大筋においてやむをえないと判断し、右会社案に対し、嘱託者の給与を定年時と同額とすること及び嘱託者に対しても組合員平均額の約三〇パーセント程度の一時金を支給することなどの修正を施したものを執行部案として昭和五七年二月三日の臨時組合大会に提案した。
右組合大会は、同日午後三時から東京農林年金会館において代議員一〇七名の参加をえて開催されたが、これに先立つて被告会社は、その役員が同日午後二時から同所において右代議員らに対して会社案の提案理由及び経営状況が厳しいことなどを説明した。
そして、右組合大会においては、執行部案に対し、いくつかの修正案が提出されたが、結局本件協約と同旨の修正案が圧倒的多数の賛成をえて可決され、その後訴外労組の中央執行委員らが被告会社と交渉した結果、昭和五七年四月一六日、本件協約が締結されるに至つた。
以上の各事実が認められ、原告本人尋問の結果中右認定に抵触する部分は前掲各証拠と対比してにわかに措信しがたく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
3 成立に争いのない乙第七、第八号証、証人西山靜の証言及び原告本人尋問の結果によると、原告は労働組合には属していないこと、原告は昭和五五年一二月二七日から、当時の就業規則一七条及び同条の附則である年長者特別服務規定に基づき、第一種嘱託として勤務しており、本件協約締結当時は満六二歳であつたこと、被告会社は、原告に対しても本件協約の効力が及ぶとして、その定めに従い、協約締結の日から一年間のみ勤務を認めることとし、昭和五七年五月分から従前の約五〇パーセントの給与を支給し、一時金は、訴外労組と別の取決めが成立した同年夏季分についてのみ従前どおり支給して、その余の分は支給せず、昭和五八年四月一六日原告に対し嘱託期間が終了したとして退職辞令を交付したことが認められ、この認定に反する証拠はない。
三 本件協約の原告に対する適用の有無
1 原告は訴外組合の組合員ではなく、他の労働組合にも属していないことは前記認定のとおりであるから、本件においては、労働組合法一七条の規定により、本件協約が原告にも適用されるか否かが問題となる。
2 まず、同条にいう「一の工場事業場に常時使用される同種の労働者の四分の三以上の数の労働者」が本件協約の適用を受けるに至つたか否かにつき検討する。
同条にいう「一の工場事業場」とは、一個の企業または経営単位が数個の工場事業場を有するときは、一個の企業全体や経営単位としての工場事業場群ではなく、個々の工場または事業場を指すと解すべきであるから、本件においては、前記認定事実によれば、原告の勤務する東京支社又は東京支社と同一建物にある本社とをあわせて一の事業場とみるのが相当であるところ、東京支社のみをとつても、東京支社と本社とを合わせ考えても、訴外労組の組合員が被告会社に常時使用されている従業員の四分の三以上を占めていたことが明らかである。
そして、前記のとおり当事者間に争いのない本件協約の内容に照らすと、本件協約は、その締結当時既に嘱託となつている者ばかりでなく、将来定年を迎えて嘱託になる者にも一律に適用される趣旨のものであることが明らかであるから、常時使用されているすべての労働者を対象としていると言うべきである。
以上によると、本件協約は、その締結と同時に、原告と同一事業場に常時使用されている同種の労働者の四分の三以上の数の労働者に適用されるに至つたと解すべきである。
3 次に、本件協約で定める労働条件は、第一種嘱託である原告にとつては、嘱託としての雇用期間及び賃金において従前のものより不利益となることは前記認定の事実から明らかであるところ、原告は、非組合員である未組織労働者が新しい労働協約よりも有利な労働条件を内容とする労働契約を既に締結している場合には、新しい労働協約の効力は右労働者には及ばないと解すべきであると主張している。
労働組合法一七条の規定の文言は、同条の定める労働協約の一般的拘束力を右のように制限すべきものとはしていないことは明らかである。次に、右規定の趣旨について考えてみると、右規定が労働協約の一般的拘束力を認めたのは、労働協約の適用を受けない未組織労働者が協約に定める基準(以下「協約基準」という。)より不利な労働条件で雇用されていると、景気の後退期等には、労働組合の組合員と未組織労働者との不公正な競争が生じ、それが協約基準の引下げへの圧力ともなるし、また逆に、未組織労働者が協約基準より有利な労働条件で雇用されていると、有利な労働条件を求めて組合を脱退する者が生じ、組織の団結力の維持、強化を阻害することにもなるから、これらの事態を未然に防止して組織の動揺を防ぎ、団結を強化し、ひいては組合員労働者の雇用の安定を図るとともに、あわせて統一的な労働条件を設定することを趣旨としていると解される。
右のような規定の文言及び趣旨に照らすと、同条の定める一般的拘束力の範囲を原告主張のように制限して解釈すべき理由はなく、未組織労働者が協約基準より有利な労働条件で雇用されている場合においても、新しい労働協約の効力が未組織労働者に及び、その労働条件は協約基準にまで引き下げられるものと解するのが相当である。ただ、右のような未組織労働者に対して新しい労働協約を適用してその労働条件を引き下げることが右規定の趣旨に反して著しく不当と解される特段の事情がある場合にはこの限りでないと解される。右のような特段の事情がある場合としては、未組織労働者がすでに使用者との個別の労働契約において、協約基準より有利な労働条件を獲得していることに合理的な理由があり、組織の団結力の維持、強化のためといえども、そのような個人の既得の利益を否定し尽すことが著しく不当であると認められる場合とか、労働協約の当事者が未組織労働者の労働条件を低下させることを目的として合理的な必要性もないのに労働協約を締結した場合等が考えられよう。
そこで、本件において右のような特段の事情があるか否かを検討すると、すでに認定したところから明らかなとおり、本件協約を締結するについてはそれなりの必要性、合理性が存在したこと、本件協約において、被告会社の男子従業員の定年は満六一歳であり、定年年齢自体は本件協約締結前と同一であること、男子従業員の定年後の第一種嘱託の期間は、従前は満六五歳までとなつていたのに、本件協約では最長二か年とされたが、それでも満六三歳までは勤務可能であること、本件協約は経過措置を設け、協約施行日現在で満六二歳以上の男子従業員は、施行日から一年間勤務することができる旨を定め、協約の施行により不利益を受ける者に一定の配慮をしていること、原告が満六五歳まで第一種嘱託として勤務することができるという制度は、訴外労組と被告会社とが昭和三九年一月一三日に労働協約を締結し、その後被告会社が右協約と同一内容の規定を就業規則の付属規定として制定したことにより、原告と被告会社との労働契約の内容となつたものであり、原告が被告会社との個別契約において獲得したものではないこと、定年制及び定年後嘱託として勤務できるという制度は、一つの工場事業場に常時使用される同種の労働者間においては統一的に定められるべき性質の事項であること、その他前記認定のような本件協約の内容、本件協約締結に至る経緯等に照らすと、原告に対して新しい労働協約を適用することが著しく不当であると認められる特段の事情が存するとはいえず、他に右特段の事情を認めるに足りる証拠はないから、本件協約の効力は原告に及ぶと解するのが相当である。
なお、原告は、原告の反論1の(三)のとおり、本件協約は被告会社と訴外労組とが結託して原告ら非組合員に対して差別的な不利益変更を強いたものであると主張しているが、この主張は右の特段の事情があるとの主張と解することができるので、この点につき検討する。
証人平田勝彦、同西山靜の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、課長も訴外労組の組合員資格を有するものとされていること及び訴外労組の幹部経験者の多くが被告会社の役員に起用されていることが認められるが、これらの事実をもつて、被告会社と訴外労組とが癒着していたと言うことはできない。また、右各証拠及び証人平田勝彦の証言により真正に成立したものと認められる乙第一六号証によれば、被告会社の役員が組合大会に先立つて代議員らに対し前記のような説明をしたこと、右組合大会の会場費を被告会社が負担していたことが認められるが、前者については、一般に会社が労働組合の理解を得るために、会社提案の内容につき説明の機会をもつことは必ずしも不当とは言えないし、また後者についても、組合大会の費用を会社が負担することは組合の自主性の点からみて問題がないとはいえないが、そのことから直ちに当該組合大会における決定内容が不当であると断定することはできず、殊に本件では、前記認定のように組合大会において、会社案を修正して提案された執行部案を更に修正した案が可決されたのであるから、自主性の点からしても訴外労組の自主性は保たれていたとみるべきである。また、原告本人尋問の結果中には、右組合大会に先立つて、被告会社の役員と訴外労組の役員とが裏取引を行つていたとの部分があるが、右部分は具体性に欠け、にわかに信用できないし、他に被告会社と訴外労組とが結託して本件協約を締結したことを窺わせるに足りる証拠はない。原告の主張は採用することができない。
4 そうすると、原告と被告会社との雇用契約は、本件協約の経過措置により、本件協約の施行日である昭和五七年四月一六日から一年を経過した昭和五八年四月一六日をもつて終了したものというべきである。
四 以上によると、被告会社が本件協約に基づいて原告を嘱託期間満了により退職したものと処遇したのは正当であり、これに反する原告の本訴各請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないから、いずれも棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 今井功 矢崎博一 藤山雅行)